食用タイムカプセル

SS作者:夜の機動戦士
使用テーマ:桃


◆食用タイムカプセル

 昼間の日差しどころか朝の日差しもすっかり熱を持っている。気がつけばもう7月だ。もうそろそろセミの鳴き声も聞こえてくることだろう。コンクリートのジャングルでは、アスファルトからの熱気もすさまじい。太陽を浴びられない吸血鬼ではないが、昼間に外出することが億劫でたまらなくなる。事務所で過ごす時間が一日の大半を占める小鳥さんを始めとした事務員勢が心底羨ましい。
 今日はいつものビジネスバッグを持つ手の反対側に、もう一つ袋が下がっている。数日前に久々のオフを取ったとき、散らかりっぱなしだった部屋の掃除をしていた時に発見された、何種類かの果物の缶詰。今のアパートに入って間もなかった学生時代、引っ越していく隣人からおすそ分けでもらったものだった。白桃に黄桃に、フルーツミックス。フルーツミックスは錆の影響か、変に膨らんでいたのでゴミ箱へ直行となったが、残りの二つに関してはもらった時のままで、賞味期限も若干過ぎていたとはいえ、大きな問題もなさそうだったので、甘いもの好きの集う場所で引き取ってもらうことにした。保存食品の奥にずっと眠りこけていたのだ。あのまま俺の部屋に置いておいた所で、中の住人が外気を吸い込む日は来ないだろう。
 ビニール袋が指に食い込み、ぶら下げる場所を何度かずらした頃、事務所に到着した。さて今日も一日が始まる、と頭の中でつぶやき、今日のスケジュールをシミュレーションしていると、エレベーターの前に見慣れた人影が二つ。
「あ、兄ちゃんだ。おっはー」
「今日は真美たちの方がちょっと先だったね」
 左右対称に房をぶら下げ、亜美と真美が手を振る。二人の挨拶に、カバンを提げた手を持ち上げて応えた。
「ねぇねぇ、そのビニール袋、何が入ってるの?」
 エレベーターに乗り込むなり、亜美が尋ねてきた。
「これか。何だと思――」
「あっ、缶詰が入ってる」
「モモかな、これ」
 答えを考えさせてみようと思ったら、袋の中を覗き込まれていた。
「ありがとう、兄ちゃん。美味しく頂くね」
「お前は何を言っているんだ」
「えーっ、亜美たちのおやつじゃないの?」
 ぶーっ、と音を出しながら、亜美が頬を膨らませる。
「そうだな、今日のレッスンがいい出来だったら、考えないでもないな」
「ホント? じゃあ、いっぱい頑張っちゃうよ。黄色いのは真美のね」
「じゃあ、白いのは亜美のだよ」
 ガサガサと袋の中をまさぐりながら、二人が缶詰を眺める。
「俺のは?」
「無いよ」
「無いのかよ!」
「そうだな、今日のお仕事がいい出来だったら、考えないでもないな~」
 真美が俺の口調を真似て、けらけら笑う。亜美も亜美で「考えないでもないな~」と、得意げに腕を組み、二人のポーズが完全に一致した。
 そうこうしている内に事務所に到着した。ドアはまだ閉まっている。どうやら今日の鍵開け当番は俺のようだ。カバンの中からキーホルダーを取り出し、ドアを開く。
 まだ誰もいないオフィス。もう三十分もすればひとしきり出勤して、いつも通りの光景になるのだが、事務所が目覚める前の、ひっそりと静まり返ったこの空間が俺は好きだった。
「トイレ掃除してくるから、窓開けといてくれ」
 二人にそう伝え、俺はシャツの腕をまくった。

※ ※ ※

 午後3時。事務所に出勤した時はまだ朝だったのに、もうこんな時間。光陰矢のごとし、とはよく言ったものだ。
 二人のレッスンは無事終了。宣言通り、いつも以上に二人は頑張ってくれていた。現金なことだと苦笑いしたい気分だったが、ダンスレッスンのコーチも驚いていたぐらいで、密度の濃いレッスンになったと思う。結果オーライだ。
 応接室兼くつろぎスペースの椅子に腰掛ける俺の目の前には、今朝方持って来た缶詰と、ダイソーで調達してきた缶切り。スタジオからの帰り道で二人が買ってきた御菓子も傍にこんもりと積まれている。
「じゃ、開けよっか。確かこうやって……」
 亜美が缶切りを握り締めて缶を開けようとするが、使い方がよく分かっていないようで、缶切りの刃をガツガツとぶつけては首を傾げている。
 ほら、こうやるんだよ、と、刃の角度を正しく調整して、亜美を促す。
「お、お、おっ、おぉ~」
 間の抜けた声と共に、缶詰の中の時間が動き出した。甘ったるいシロップの匂いが広がり、目元を細めて亜美が笑う。
「はい、兄ちゃんのコーヒー。ブラックでいいんだよね?」
「ありがとう、真美」
 コトンとマイカップが置かれる。俺の好きな、香ばしい香りだ。
「それ、真美の分ね」
 器に盛られた、白と黄色。冷凍庫から連れてこられたアイスクリームが隣にいるのが、また涼しげだ。結局、缶詰の中身は三人でシェアすることになった。余った桃は三等分。何かを一緒に食べる時は、三人で同じだけ。亜美と真美のその心遣いは、俺の癒しだった。
「その缶詰な、俺が学生だった頃のなんだ」
 シロップ漬けの、ストレートで懐かしい桃の甘さを味わいながら、二人に言う。
「えっ、そんな大昔の、食べてダイジョーブなの?」
「……大昔って程の昔でもないんだがな。缶詰は空気を入れたりしなければかなりの年月持つんだよ。それこそ、賞味期限を5年10年過ぎたって大丈夫なんだ」
 空き缶を手にとって、賞味期限を見ると、1年ばかり過ぎているようだった。
「へー、ってことは、この桃って、ホントなら腐ってて食べられないぐらい昔のなんだ」
「どれぐらい前に採ったんだろうね?」
 フォークに刺した桃をしげしげと眺めながら、真美が黄桃にかぶりつく。今の話を聞いてほんの少しぐらいは躊躇しそうなものだが、見た目と味に異常が無ければ特に気にならないらしい。
「そういえばさ、亜美たち、こないだ学校でタイムカプセル埋めたよね」
「タイムカプセルか……俺も小学生の頃、埋めたよ」
「兄ちゃんが小学生の頃って、どんなんだったの?」
「そうだな……」
 缶詰を受け取った日から、時間を逆行させていく。あんなこともあった、こんなこともあった……。思い出すことも少なかった俺の子供時代の話を、いつも自分が喋ってばかりの二人は興味津々に聞いてくれた。気がつけばコーヒーも空になり、喋り過ぎて口の中がカラカラだ。
「懐かしいな。あの頃は、普通のサラリーマンになりたい、なんて思ってたよ。まさか、アイドルのプロデュースをすることになるなんて」
「いいなー、真美も早く、今の兄ちゃんみたいに『昔は懐かしかったー』ってしたい」
「早くオトナになりたいよねー。お酒が飲めるのも随分先みたいだし……」
 遠い目をする真美に、亜美が同意する。
「二人が昔話に花を咲かせる年になる頃には、どうなってるんだろうな。楽しみだよ」
「兄ちゃんもその頃にはハゲてるかな?」
「……想像させないでくれ」
 思わず生え際に手が伸びた。

※ ※ ※

「今日で、あの日からちょうど10年だよね」
「ほら、缶のここに、ウチらが書いた日付が載ってるよ」
「あっ、ここに『10年後に会おう!』って書いてある。真美の字じゃない、これ?」
「うわー、汚い字だなー、我ながら……」
 テーブルの上には、いくつかの桃の缶詰と、三人分のビール。
「小学生の頃だったよね、この缶買いに行ったのって」
「あの頃はジュースだったね、ウチら」
 二人が顔を見合わせて笑う。
「じゃあ、開けようか」
「はい、任せたよ『兄ちゃん』」
 真美が俺に缶切りを手渡した。
「そう呼ばれるのも、何年ぶりのことやら……」
「もう『兄ちゃん』って年じゃないもんね」
「……年のことは言うな」
「『兄ちゃん』も偉くなったよね」
 真美が遠い目をした。
「じゃ、開けるぞ」
 缶切りの角度を調整する。
「ほら、こうやるんだよ」
 亜美がクイクイと手首を動かした。
「ん? やり方は合ってるはずだけど……」
「忘れちゃったの? 兄ちゃん言ってたじゃん、あの時」
「お前、よく覚えてるな……」
「亜美は兄ちゃんラブだったもんねー」
「ばっ……それは真美でしょー!」
「なな、何言ってんだし!」
「えっ、亜美は……何だったって?」
「なっ、何でもないよ! 早く飲も! 今日は昔話に花を咲かせるのだっ!」
 亜美が鼻息荒く、プルタブを引いた。真美も、負けじと缶ビールを手に取る。
「まぁ、タイムカプセルも空いたことだし、乾杯するか」
 三人で缶ビールをぶつけて乾杯すると、窓から涼しい風が吹き込んできた。
 次は何年後かな。その時が楽しみだ。


終わり 



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  • 最終更新:2011-07-04 00:58:54

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