スロー・アウェイカー

SS作者:sii(百合根P)
題目消化:「決裂」「遅刻」


◆スロー・アウェイカー

1年の歳月は私にとってはとても長くて、今あなたを目の前にしては一瞬に思えた。
懐かしさと愛おしさは込み上げてくるのに、ひどく遠い。

「お久しぶりです、変わりなくて何より」
「…ええ、千早ちゃんも」

差し伸べられた手を取ろうとして、一瞬だけ迷う。
カメラが、MCが、観客が違和感を感じる前に、躊躇いを振り払って手を握る。
元々細かった手が、ますます細くなっていた気がした。
凛々しくステージに立ち、客席の向こうを見据えるその姿は
以前にも増して強く、険しい。

進行通り、私が元のゲスト席に戻り、千早ちゃんがステージの中央に立った。
照明が落ちる、スモークが広がる。客席がふっと鎮まる。
会場の全てが千早ちゃんの空気に呑まれて。
MCのアナウンスに被せて、曲のイントロが始まる。

『――それでは、歌って頂きましょう。如月千早で、……』

タイトルはよく覚えていない。
全て英語詞の、ハイテンポなダンスナンバー。
耳障りなノイズと攻撃的なギターが泣き叫び、
その中心で千早ちゃんが、キレのあるパフォーマンスに、突き刺さるような歌を重ねる。
誰も動けない。息すら吐かせない。千早ちゃんから目を離せない。
慟哭に似たシャウト。耳が、心が、痛む。

――らしくない。ただ、そう思った。

周囲の強い推薦で、千早ちゃんが渡米する事になったのはちょうど1年前。
誰もが、もちろん私も、それを心から祝福した。
寂しさはあったけれど、千早ちゃんがもっと広く、高い場所で歌う姿が見たかったから。
強く大きく成長した千早ちゃんの翼が羽ばたくには、日本という舞台はあまりにも狭過ぎた。

向こうでも頑張ります、と笑う千早ちゃんの顔には、影が落ちていた様に思う。

出発前夜、翌朝の見送りに備えて早寝を決め込んだ私を、チャイムの電子音が叩き起こした。
慌ててカーディガンを羽織り、玄関に走る。
覗き穴の向こうには、よく見慣れた姿があった。
チェーンを外すのももどかしく、大急ぎで鍵を開けて招き入れる。

「どうしたの千早ちゃん、こんな夜中に」
「……すみません」

申し訳なさそうにちぢこまってますます小さく見える
千早ちゃんの肩には似合わない、大きなキャスターバッグ。
そんな些細な事で、改めて、行ってしまうのだなと実感する。
目頭が熱い。

「座ってて。今何か用意するから」

誤魔化そうとして、キッチンへ駆け込んだ。
千早ちゃんは何も言わずに、ソファーに沈み込んでいた。
こういう時は多分温かくて甘いものがいい。ココアを二人分淹れて戻る。

「どうぞ」
「……ありがとうございます」

カップを抱いたまま、千早ちゃんが俯いた。
私も何を言えばいいのか分からなかった。
言いたい事はあったけれど、それを今口にする事なんて出来なかったから。

そのまましばらく、二人とも何も口にしないまま時間が経って。
空になったカップに今度は紅茶を注ごうと席を立とうとして、動けなくなった。
俯いたままの千早ちゃんが、服の裾をぎゅっと掴んでいた。

「あずささん」
「なぁに」

さっと顔を上げた千早ちゃんの両目から、いくつもいくつも雫が浮かんで、零れた。
涙と嗚咽を必死で堪えようとして、歪んで、それでも駄目で、抑えられなくて。

「行きたくない」

喉の奥から絞り出す様に、か細い声で、そう言った。

「このまま、ここに居たいんです。離れたくない」

そこまでをやっと言って、千早ちゃんは堰をきったように泣き出した。
私の胸に縋り付いて、ひたすらに泣きじゃくった。
落ちていた影はきっとこれのせい。
歌うことが誰よりも、誰よりも好きな千早ちゃんでも、
見知らぬ地でひとりはあまりにも心細いだろう。
私だって、苦しい。叶うなら、傍に居てあげたい。

それでも、引きとめられない。私にはそれをするだけの力がない。
今の千早ちゃんとの力の差をひたすらに感じる。
私やみんなが傍に居れば、千早ちゃんは実力を無意識にセーブしてしまう。
千早ちゃんがそれを望んでも、それはいけない事。
千早ちゃんという才能の可能性を摘む事になる。
これからこの子が産むであろう音楽と、
それを聴いて心動かされるであろう誰かを断ち切ってしまう事になる。
私達のほんの一時の我儘で、そんな事出来る訳がない。

「それは駄目よ」
「……そうですよね」

千早ちゃんはそう呟いて、俯いた。

「分かっています」

私に縋る手に力が籠る。

「だから、何でもいいんです。
 私に刻んで、何かを残してもらえませんか。
 こんなにも幸せを感じられたこと、忘れてしまわない様に」

私は、千早ちゃんを強く抱きしめて、ゆっくりと、首を、横に振った。

――だから、だからなのだろうか。

あなたは自分の音楽を捨ててしまったの?
あなたの想いと一緒に?

曲が終わって、それまで忘れられていたかの様な大歓声が巻き起こって、照明が戻って、
私は知らず涙を零していた。
カメラがこちらを向いて、モニターの全てに私が映し出されても、
止め処なく溢れて、拭っても拭っても途切れはしなかった。

席に戻る時にすれ違う千早ちゃんが呟いた。
マイクに拾われてしまわない様に、とても、とても小さな声で。

「……遅いんですよ、あなたはいつもそう」



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  • 「遅刻」をこう使ってくるのかと感服させられました。千早の成長を望むあまりに素直になることをためらったあずさに対して千早は憎く思っているのか、それとも…悲しいけれど胸打たれる素敵な作品をありがとうございました! ご参加ありがとうございました。 --- coro (2010/04/04 16:50:07)

  • 最終更新:2010-04-04 17:05:57

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